神々の聖域への苦難の旅・・・辿り着いたのは熊野の地でした。

かつて人々は、老若男女を問わず、身分の貴賎を選ばず、また浄・不浄も問わず全国津々浦々から病苦・貧困を乗り越え険しい山道を越えてきました。

そこは、魂を浄化し、この世の苦しみを来世への悦びとしてくれる深山幽谷の『熊野』の世界。三千六百峰の果てしない山々がどこまでも続く牟婁の世界こそ熊野権現の霊験あらたかな熊野三山への道だったのです。
神々の聖域への苦難の旅・・・熊野詣は平安の頃は上皇や貴族達が主に参詣し庶民はあまりしなかったと言われている。中世の後期になって地方の有力な人達が主になり競って参詣したようである。

近世になって初めて一般庶民に広まり全国から参詣に訪れるようになり、俗に蟻の熊野詣でと言われる事となる。特に東北方面から遠路参詣に訪れる豪農や商人がその足跡を熊野三山のあちこちに石碑等の形で今も確認する事ができる。
熊野街道の成立・内容については当サイト内
『熊野街道縁起』も参考にされたい。

大方は伊勢参りや西国巡礼で那智山青岸渡寺参りとを兼ねたもので、伊勢神宮に参った後に熊野三山(熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社)を目指し、更には
西国三十三箇所を巡る旅へと足を伸ばす庶民が多かった。
紀伊の国図
和歌山県立博物館蔵
オレンジの部分が熊野
(牟婁の地域)
那智参詣荼羅図
室町時代後期/熊野那智大社蔵
/熊野権現信仰と参詣の様子を表現
那智瀧図
鎌倉時代/国宝/根津
美術館蔵
熊野曼荼羅図
鎌倉時代/米国クリーブランド美術館蔵/上から那智・速玉・本宮の各大社が描かれている
後鳥羽上皇像
鎌倉時代/国宝/水無瀬神宮蔵/熊野詣を生涯に渡ってした人物で知られる
熊野行幸記
鎌倉時代/藤原定家筆/国宝
三井文庫蔵
一遍上人像
像高145センチ/宝厳寺蔵/南無阿弥陀仏で知られている
神々の聖域への苦難の旅・・・熊野はまた山岳信仰の舞台でもあった。

深い山々に囲まれた紀伊半島のほぼ中央に位置する奈良県にある大台ケ原山系の険しい峰や谷は古代より奥掛修行の場であり、修験者の誰もが役行者に触れ近づきたいと命をかけて修行する舞台であった。
この熊野の山々で修行した修験者達の霊験が京都の貴族達に広がり上皇・貴族達の熊野三山へのあこがれが、苦難をもいとわず参詣する慣習に結びついたとされている。中でも御鳥羽上皇の28回にものぼる参詣は驚くべき回数である。
▲深い山々に囲まれた現在の熊野風景/熊野川町より-2002/8/1 夕刻撮影
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▲熊野はまた海が山際まで迫って存在している事でも知られている 新宮の王子ケ浜
  
は熊野川の河口に広がる玉砂利の綺麗な浜である。三重県側では七里御浜とも呼ばれる。